泥(なずみ)


「沃野」(Act.9)

 あの雌狐を合法的に消す手段はないのかな──
 思いながら弦を引き、矢を放つ。
 ──的中。
 余韻を静かに咀嚼する。
 どうしてだろう。
 あの子のことを思い浮かべるたび、気持ちが研ぎ澄まされていく。
 普通なら、こういうのは雑念として消さなければならないものなのに。
 よーくんではなく、あの子──荒木麻耶を頭蓋の中に呼び起こすことで、無心の境地に近づいている気がする。一矢射るたび、奇妙に充実感を覚えるのだ。
 撃てば撃つほど、心が安らぐ。
 的ではなく、脳裡に過ぎる顔を見ているからかな。
 そこに向かって射掛けるイメージで。
 けど、まだ足りない。
 もっと豊かな心で立ち合わなければいけないのだと思う。
 新しい矢をつがえ、的を睨む。
 それを、「的ではない」と胸に言い聞かせる。強く強く、言い聞かせる。
 弓は引き放つ腕と中てる技、二つを結びつける心が何を願うかに依る。

 正面から──肝臓と膵臓。
 見るのではなく、視るイメージで放つ。

ドッ    
     ドッ     


 背後から──腎臓二つと脾臓。

   ドッ     
       ドッ     
 ドッ     


 とどめに──心臓。肋骨の隙間を掻い潜るように。

ド──ッ!     


 六連射。身を包む心地良さは、弓を初めて以来最大と言って良い。
 やがて短く濃厚な時間は過ぎ去り、二十射が終わった。
「なんか、精が出るというか……雰囲気がサイレントすぎて却って鬼気迫るような」
 梓が恐る恐るといった口振りで言葉を挟んだ。
 彼女もわたしが最近ゴタゴタしているのを知っているが、そのことに関してはあまり口を出さない。「気が済むまでやればいいじゃん~」と言って鼻歌を始めたくらいが唯一の言及か。
 大雑把な性格だけど、それはなかなかに救いだったりする。
「ん、ちょっとね」
 心境の変化、と言っていいのかな。ただ下級生の子に対して苛ついて、よーくんの気を引こうとして、空回りしている日々から一歩離れて俯瞰した心地になってきた。
 切欠はやっぱり、あの子の頬を叩いたときかな。ついカッとなってやっちゃった。
もちろん謝るつもりはさらさらない。あの子の方も、謝罪を求める風ではなかったし。
 逆に、もっと本気を出してくださいよ先輩──って、なんだか挑発してる気配さえ窺えた。
 意図は不明だ。耳を隠し、尻尾を隠し、本心を隠している。
 いったい何を考えているのだろう。あの雌狐は。
 冷静に考えればあの子に勝ち目なんてないはずだ。いくら可愛くてもよーくんとの付き合いは浅いし、わたしとの間に付け入る余地はない。体で釣る……のも無理だろう。よーくんはわたしの胸とかをチラチラ見ることがあっても、あの子の方に目を遣ることはなかった。よーくんが彼女を性的対象に捉えてないのは火を見るより明らか。
 告白から今に至るまでの経緯も強引で、デタラメで。勝てる布石はどこにも見当たらない。
「あー……」
 それがとても不気味だ。最初は頭に血がのぼって見境なかったが、今は違う不安に苛まれる。
 あの子はなんなのだ。分からない。無視していい小石なのか。分からない。
 ただとにかく取り除きたい。靴に入った小石は、危険じゃなくてもすごく不快なものだから。
「なんだか狐狩り、したくなってきちゃったなぁー……」
 虚空を睨んだ。
 射るべき的は、その方角にあった。


 なんであれ、このままでは埒が明かない。
 よーくんを間に挟んで綱引きしてばっかりじゃ事態は停滞するばかり。
 動き出さなきゃ。

 そこで昼休憩、よーくんにお弁当を渡してから教室をすぐに出た。離れていくわたしを見てよーくんは不思議そうな顔をしたけど何も言わなかった。
 せめて一言でも引き止めてほしかったのにな…… 
 廊下で、階段からやってくる荒木麻耶を待ち受ける。
 訪れた彼女は少しだけ意外そうな顔をした後、くすっ、と笑った。
「ははあ、なるほど。私とサシでの話し合いがしたいんですね、綾瀬さん」
「……察しがいいね。で、どう?」
「構いませんよ。場所はどうしましょうか」
「屋上、いこっか?」
 わたしの提案に、すんなりと従ってきた。あまりにもスムーズに進むので気味が悪い。
 屋上にはぽつぽつと人影があった。給水塔の付近が空いていたから、そこに行く。
 さて。なんと切り出そう?
 もうよーくんに近づかないで、と脅しても聞くような子じゃないのは分かっているし。
 どういう話をしたらいいのかな。もうだいぶ手段を選ばないつもりにはなってきたけど、具体的に何をどうすればいいのかまでははっきりしなかった。
 まあ、とりあえず懐に彫刻刀は忍ばせているし。どうとでもなるかな。
「言いあぐねているみたいですね。ふふ……なんならここで一戦交えても別に構いませんが、
先輩のいないところであなたと口喧嘩しても詮がありません。一つ、腹を割って話しましょう」
 僅かに釣りあがった口角に奇妙な余裕が滲んでいる。
 なぜ、この子は劣勢においてこうも泰然としていられるのだろう。
「私がどれだけちょっかいをかけたところで、先輩の気持ちがこちらへ傾くはずはない。
……あなたが察している通り、分の悪い勝負だと思っています。先輩はただあなたと付き合い出すべきかどうかの踏ん切りがつかなくて、考える時間を確保するために返事を保留しているだけなんでしょう」
「よーくんの眼中にないって分かってて、なんで諦めないの?」
 けら、と笑う。
「眼中にないなら……入り込めばいい。難しい話ではありません。フット・イン・ザ・ドア――セールスマンがまずドアの隙間に足を突っ込むところから始めるようなものでしてね」
「……はぐらかしているの?」
「そんな、まさか。私の方針を開示しただけですよ」
 苦笑している。わたしが恋敵なんてこと、まるきり忘れたみたいな表情で。
 分からない。この子の考えていること。わたしを化かそうとしているのは分かるのに、化かし方が不明だ。
 問答無用で射殺せるならそうしてしまいたい。
 けど法治国家では殺人になる。
 そしたらよーくんに会えなくなってしまう。非常につらい。
 たとえ相手が雌狐とはいっても、単純に叩き殺しておしまいというわけにはいかないのだ。
「怖い顔をしますね……法律の目を掻い潜れるなら、ぶっ殺しても構わないって言わんばかりです」
 怯えた風もなく、くすくすと楽しげに声を漏らしている。
「……お願いだから、よーくんにも、わたしにも近づかないでくれる? 不愉快なの、あなた」
 不愉快というより不気味だった。しかし、そのことを告げては弱気を見せることになる。本音を隠した。
 結局、策も何もなくて芸のないセリフを口にしてしまった。
 到底聞き入れるような子じゃないのに。
 いざという場合に備えてそっと彫刻刀を握る。
「いいですよ」
 けど、あっさりと。拍子抜けするほど簡単に金髪の頭が頷いた。
「え……?」
 まったくの予想外れ。
 皮肉の一つも返されることなく受諾されるなんて、希望してもいなかった。
「あなたから言い出したことなのに、そんなに驚かれるのは心外ですね」
「で、でも……えっ、本当に?」
「無期限、とはいきませんが今日明日くらいなら譲歩します。おふたりに近寄らず、干渉を避けましょう」


 取り付けることのできた口約束──けれど湧き上がる感情は安堵よりも不安が濃かった。
「二日間だけ、退いてくれるってこと?」
「それ以上は待てません。あなたは何十年も付かず離れずの幼馴染み関係で満足してきたのかもしれませんが、私はそこまで我慢強くありません。早く結果を出してしまいたい。あなたにも時間をあげます。だから、さっさと決着をつけてきちゃってくださいよ……失恋するなり、玉砕するなり、惨めに捨てられるなり」
 随分とふざけた反復だ。まるでわたしがよーくんとくっつく可能性なんてないと断言している。
 腹立たしかった。けど声を荒らげる気にはなれなかった。
 彼女の確信はいったいどこから来ているの……?
「じゃあ、用も終わったことですし、失礼しますね。今日は友達とお弁当を食べることにします」
 わたしの疑惑などそ知らぬ風情で歩み出す。
 引き止めようとしても、引き止める理由がなかった。問い質したかったが、適切な言葉が思い浮かばない。
「いいですか、二日だけですよ。くれぐれも早急に、結論を出してくださいね」
 念を押しながら、彼女は扉の向こうへ姿を消していった。

 すっきりしない気分でよーくんの教室に行くと、彼はお弁当に手をつけていなかった。
 すぐに帰ってくるだろうと思ってわたしを待っていたらしい。少し嬉しくなった。
 周りを見渡してみる。あの子の姿はない。目立ちすぎるくらい目立つのだから見落とすのは却って難しいぐらいだけど、確認しなくては落ち着かなかった。
 よーくんに聞いても、さっきの休憩時間以降は荒木さんに会っていないという。
 「眼」を使うと、彼女は宣言通り教室で女子たちと一緒にお弁当を食べていた。
 本当に距離を置いてくれるのだろうか……
 半信半疑、上の空で昼食を摂った。

 要するに、焦ったわたしがよーくんへのアプローチに失敗して自滅するのを待つ作戦なんだろうか。期限を短く切ったり、「くれぐれも」と念押しして急かせるあたりにそういった意図は感じられる。 ここでよーくんに積極的な行動を起こすのは相手の思う壺なのかもしれない。
 いや、そう思わせることで逆に牽制しているとか……?
 まさか。そんなの、迂遠すぎる。
 悩めば悩むほど、術中に嵌まってるような不安が拭えない。
「よーくん、さ、帰ろ」
「あ、ああ……」
 校門を過ぎてからしばらく経つのに未だ姿を見せない荒木麻耶が不思議なのか、よーくんはキョロキョロと周りに目をやっている。当たり前のように横にいた存在がいなくなって、落ち着かないんだろうか。
 不在が、実在よりも存在を際立たせる──倒錯した状況に、わたしたちふたりは陥っている。
 図書館の方を視た。黙々と、小さな体で委員の作業をこなしている。近くの茂みで虎視眈々と監視したり尾行したりしているわけではなかった。
 不審の念は消え去らない。でも、あまり気にしすぎたってしょうがない。
 今は──彼女が発した離脱期間を、わたしがどう消化するかがポイントなのだ。
 焦りは禁物。でも、のんびりしていたらすぐに終わってしまう。
 どうしよう。
 横目によーくんを見る。ちょうど彼もこっちを覗き見る風にしていて、目が合ってしまった。
 別に、珍しくとも何ともないのに。久しぶりにふたりだけで歩いているせいだろうか。変に意識しちゃって、気恥ずかしくなって同時に目を逸らした。心臓の鼓動が駆け足気味になっている。
 ……なんだかむしろ。
 あの子いなくなったおかげでわたしたちの雰囲気、それっぽくなってきてない?



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by sikaisen | 2007-04-13 22:11

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