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泥(なずみ)


「沃野」(Act.12)

 混乱しきっている先輩に「夜風に当たって頭を冷やしてみては?」と提言し、それとなく戸外へ誘い出します。「こうして電話で話すよりも直にあった方がよろしいでしょう」と近くの公園で会う約束も取りつけました。
 既に出る準備は整えていたので駆けつけるのに要した時間はほんの二、三分。落ち着きを取り戻すにはまだ不十分な頃合でしょう。牝犬はともかく、先輩の平静を保てずにはいられない心境を察すると胸が痛みます。
 慮った通りの筋が進行したとはいえ、無邪気に喜んでばかりもいられません。
「まずはこれでもお飲みになってください」
 と魔法瓶から熱いお茶を淹れて手渡します。初夏といっても夜は冷え込みます。ちょっと手回しが良すぎるかな、とも思いましたが先輩は何も疑う素振りを見せずお茶を啜りました。
「悪いな、荒木。こんな時間にわざわざ出てもらって」
 申し訳なさと感謝をブレンドした表情。あまり喜びを示すのも変かと思い、俯いて「いえ」と簡単に返事をします。頬の緩みはどうにも止められません。
 ベンチに隣り合って座り、訥々と先輩が語る話を黙って聞きました。
 よほど弱っているみたいです。幼馴染みの牝……いえ女の子に突然劣情を催したことへの困惑。受け入れてくれそうな彼女を見た途端、急に湧き上がった恐怖と嫌悪感。説明をボカしているせいもあって先輩の心情推移にはいくつかよく分からないところがあります。事態を解決するには突っ込んだ質問をして、彼の内部へ踏み込んでいく必要があると思えました。
 が、そんなことはどうでもよいのです。あえて放っておきました。私の務めるべきなのは分析官じゃありません。ただの慰め役なのです。先輩の言葉に耳を傾け、おなかの中に溜めておけば鬱屈へ変わりかねないモヤモヤしたものを解きほぐす。それだけ。今はそれだけが大切なのです。
「……すまん。本当はこんなことを、聞いてもらう関係じゃないんだが」
「気にしないでください。何も嫌なことはありませんよ。どうぞ、続けてくださいな」
 困っているときに、誰かがそばにいてほしいときに、そばにいる。
 それは漫然と何年も腐れ縁を続けることよりも重要なはずです。ふふ。
 やがて先輩の言葉も尽きました。語り切った彼は心なしか少し楽になったように映ります。
 ショックがなくなったわけではないけれど、落ち着きを取り戻してどうにか持ち直した。
 そんなところでしょう。
 セオリー通りなら、ここで別れの挨拶を言い合っておしまいにして、明日への架け橋にするのが得策。
 今迫っても、先輩に余計な混乱を呼び入れてしまうだけ──そう思っている一方で。
 私は、はっきりと決心をしました。

 今、これより、攻めに行きます。

 綾瀬胡桃の二の舞にはなりません。
 私は勝ちます。彼女の敗北を踏み台にして。
 いえ……決心してもまだ、迷いは残ります。
 握り締めた手の中にはじっとりと汗の感触。さわったときに気づかれないよう、そっと拭いました。
 口の中もカラカラです。喉も何かが引っ掛かったみたいで、言葉が掠れてしまいそう。
 度胸が据わっているように見せかけても根が小心者です。
 まるで冗談みたいな話ですけれど──私とて思春期に群生する「か弱い乙女」の一つでしかありません。
 たとえ望んでいるものだとしても、後戻りできない道へ足を差し入れるのは不安なのです。
 私はまだどこかで、「今なら引き返せる」と囁く弱気を打ち消すことができていない。
 初恋なんです。初恋なんですよ。少女が、初恋相手に覚悟なんて決められるものですか!
 思わず仰いだ空に、星の輝きはありません。暗い雲の襞が僅かに見えるだけ。
 忍び寄る夜気を肌に受けてほとんど泣きたくなる心地のまま、体から力を抜きます。
 気負うのはやめました。消えない不安を抱き締めて進みます。
 所詮、すべてはなるようにしかならないのですから。
「……よ……ようへい、せんぱい……」
 声の震えを隠し切れないまま。そっと隣の彼へしなだれかかりました。


 ぽすん、と寄りかかって支えられる小さな自分の体。頬に触れる布の感触。
 最初は冷たかったけれど、その下から温もりがのぼってきます。
 密着した部分から伝わってくる先輩の熱に、いつかの昼食時を思い出して懐かしくなりました。先輩に告白して、初めてあの綾瀬胡桃と正面対決を果たした日──なんだか大昔のように思えます。
「あ、荒木?」
 慌てて声をかける先輩。声の振動が触れている胸から伝わってきます。戸惑いと、微かな怯えを混ぜた色合い。無理もありません。さっき、積年の幼馴染みに言い寄られて断ったばかりで、いろいろな気持ちの整理がついていないはずなのです。応じる余裕はないはずなのです。
 強く突き放そうとせず、緩い力で引き剥がそうとしながら。
 先輩は喋るべき言葉を探しています。
「……何も言わないでください」
 彼を制止して。
 軽く目を閉じ。
 浮かび上がってくる微睡みにも似た柔らかい思いを打ち明けましょう。
「私は、洋平先輩のことが好きです……気がついたら、好きになっていました」
 いつしか体は熱を帯び、夜の寒さが意識の外へ退場しています。
「理由なんか聞かないでくださいね。ただ、好きなんです。だから、付き合ってほしいと言いました……」
 熱に浮かされるようにして、いつかと同じ告白を重ねていきます。
「愛してくれとは言いません。束縛したいわけではないんです。私はただ。そばにいたい。そばにいたいんです。そばにいて、あなたと一緒に過ごしたい。それだけ。ええ、それだけですよ? 本当に、本当に……」
 うわ言みたいに溢れてくる。自分でも何を喋りたいのか、分からなくなりつつありました。
「いま欲しいものがあるとしたら──それは先輩の体温だけ」
 すっと手を伸ばし、彼の指先をさすります。
「私はちっとも強くない女の子です。強いフリをしているだけです。みんなは見た目の割に強いって言いますけど、実際は見た目通りに吹けば飛ぶような脆い人間ですよ。寂しがり屋ですよ。独りで踏ん張るのは辛すぎますよ。だからと言って、無闇に守ってほしいというわけでもありません。守られてばかりなのも、それはそれで淋しいですから」
 指を絡ませ、きゅうっと握っちゃいます。
「多くは望みません。望みはひとつ。一緒にいてください……そばにいてください。それ以外の望みは捨てます。あなたの望みが私の望みとなるように努めます。なんでも。なんでもしますよ」
 従順であろうとすることはそんなに難しくありません。すべてを委ねればいいだけです。
「尽くします──骨の髄まで」
 殻を捨て去った私の身は軽い。「すべて」など、ほんのひとときの気持ちで売り渡せます。
「私を、先輩のモノにしてください。展示処分品につき現品のみです」
「……人をモノ扱いするのは嫌いだったんじゃなかったか?」
「先輩をモノ扱いされるのが嫌だっただけです。私自身は構いません。どうか所有物とか私物とか飼い犬みたいなものと思ってください。ぶっちゃけそっちの方が楽なんです、気持ちが」
 彼の匂いを鼻で感じながら、心は凪いでいく。
 依存癖には自覚があります。独りでいた頃は殻に依存し。殻をなくしてからは理屈に依存し。
そして理屈を捨て去るとなれば、先輩に依存するしかありません。
 依存というのは信仰みたいなもので。不肖の身が先輩に飼われるかと思えば心が躍り、なんとも言い尽くせない敬虔な気持ちに包まれます。なんて駄目な女でしょう。この宿り木女め。
「……なあ、荒木」
 訊ねてくる先輩に「はい?」と笑顔を向けます。引き離す代わりに抱き締めてくる手を感じていれば、もう何も不安なことはありませんでした。
「本当に……なんでもするか……?」
「はい、もちろ」
 言い終わるよりも先に、唇が躍り掛かってきました。
 蛇みたいに。

 夜の公園。傍観するのはしじまだけ。傷を舐め合うようなキスに、しばし耽りました。


 危うくお外で初体験を奪われそうになりましたが、なんとか説得して先輩の家に上がりました。
「お邪魔しまー……え? あっ!? あの、先輩、ここまだ玄関でっうむぅ!?」
 そこで羽賀さんに言われたときはいまひとつ実感の湧かなかった「ケダモノ」という言葉の意味を、嫌になるくらい教え込まされました。
 なるほど彼女も身を震わせるわけです。
 いやーもう、なんでもするとかしないとか以前に何もできませんよ。
 ほとんど力づくで押さえつけられてプラグイン・プラグアウトでしたよ。
「ちょっ、せんぱっ……待ってください、少し休ませ……!」
 という私のお願いも耳に入らないようで、破瓜の痛みでジンジンと疼く部位を立て続けに責められ、都合三度も流し込まれてしまいました。避妊とかを考える余裕も全然なかったです。ようやく「あ……」と思い至れるようになった頃には息も絶え絶え。体もびっしょり。遅きに失しすぎました。
 すっかり終わったものと思い込んで力を抜いていたら、ティッシュで私の著しくねっとりと濡れたところを拭っていた先輩が「やべえ……なんか再び激しくムラムラしてきた」と言い放って。
「え? あっ、そんな、だってまだここ玄関ですよ、せめてベッ……うああっ!?」
 止める暇もあらばこそ、更に二度の注入を奥のあたりで体感させられました。
 これはなんと言いますか、まな板の鯉と言うより……サンドバッグ?
 はっきり言ってあまり知識のない私です。まさか殿方が初めての夜に五度も出すとは思いも寄らなんだです。
 素直にびっくり。
 知っていたら事前にもっと体力をつけてきましたのに……最後あたりはほとんど気絶しそうな有り様でした。なにぶん私はこんな体ですから、先輩も満足して達してくれないんじゃ、という懸念もありましたが。
 杞憂もいいところだったみたいです。
 いわゆる「特殊な趣味」を持った方々は私のような貧弱極まりない体型にこそ大いなる欲情を催すと申しますが、お隣さんの牝犬の肢体に目を奪われてばかりでこっちには少しも目をくれなかった先輩が、まるで「特殊な趣味」を保有しているのではないかと疑うほどに元気だったのはなんででしょうか?
 たまたま今日だけ特別のギンギン状態だったのか。
 はたまた殿方とは元来こんな感じなのか。
 知識も経験も浅い身には判別がつきません。
 ぐったりしすぎて物事を考えるのも億劫で、シャワーを浴びて体を綺麗にした後は抱っこされ、ようやく辿り着いたベッドで先輩の腕を枕に就寝して泥のような睡眠を貪りました。

 それにしても。明日、まっすぐ歩けるかなぁ……。

 翌朝のこと。
 下半身が別人になったみたいな目覚めでした。感覚はあるにはありますが、鈍いというかどこかで神経の連絡がおかしくなっている気がして、表現しがたい苦痛と不快感に悩まされました。
「すまん……本気ですまん……! 昨日の俺は明らかにどうかしていた……!」
 土下座しかねない勢いで謝る先輩に「大丈夫です」「へっちゃらです」と言い張りましたが、
例の部分はもう物理的に腫れ上がっていて続投不可能でした。スポーツならドクターストップがかかるところです。ぬりぬりと軟膏を処置してもらいました。
 仕方なく、その日は先輩との交接を手と口に譲りました。話には聞いておりましたが、思ったより奥深い技術分野で驚かされました。単純にこすればいい、舐めればいい、咥えればいいというものではないそうです。大いに知的好奇心を刺激され、不甲斐ない下半身の分も上乗せして発奮しました。
 顎はすぐに疲れてしまい、手も腱鞘炎みたいに痛みましたが、先輩に三度の絶頂をもたらすことに成功しました。かなり満足げでツヤツヤとした顔をされています。
 にしても、昨日からずっと酷使され、今日も私の舌と指の猛攻に晒された先輩の突起部が今現在も依然として無事でありピンピンしていると申しますかビンビンしているのはすごいです。
 私の腫れているところとは違って随分と頑丈な構造になっているみたいですね。
 感心するうちに夜も更け、私たちは名残り惜しみながらもひとときの別れを得ました。
 明日は学校でまた会えるというのに。
 離れるとなると、くっついた分だけ淋しさが募ります。

 さて。
 朝帰りどころか一周回って夜帰りを果たし、かつガニマタ気味な私へ加えられた叱責はそれはもう常軌を逸して凄絶で堪忍してほしいものでしたが、思い出したくもありませんので割愛しましょう。
 くわばらくわばら。



(Act.13へ)
by sikaisen | 2007-04-14 21:45

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