泥(なずみ)


「沃野」(Act.17)

 ドンッ
 少し離れた場所から鈍くて重い音が響いてきます。
 ズベシャァッ、と。一瞬の間を置いて、アスファルトに叩きつけられる音も。
 それは人体が奏でたとは到底思えない、激しい異音でした。
 ──綾瀬胡桃、死亡確認。享年十六歳。いえ、十七歳ですっけ?
 まあ、どっちでもいいですね。別に知りたくもありませんし。
 じゃあね、ばいばい、牝犬さん……頬に笑みを残したまま、心の中で呼びかけます。
「っ!? なんだ、今の?」
 先輩は驚かれたのか、首にビクンと痙攣が走りました。
 強張った表情──私にかじりつかれたまま、訝しそうに目を眇める。
 やがてその疑問に答えるかのように、人々の切羽詰った叫び声が聞こえてきます。
「事故だ! 誰かがトラックに撥ねられたぞ!」
「見たよ、女の子だった。急に飛び出してきて……ほら、あそこ!」
「あれか!?」
「うげ……」
「おいおい、あれって生きてんかよ。まさか死んでんじゃ……」
「撥ねられたトコがあっちなわけ? うわあ、メッチャ飛んでるし」
「ほらー、足とか腕が変な方向に曲がってるー。ぐろーい」
「ダメだな、こりゃ……死んでるだろ、もう」
「急に飛び出したって、自殺かねぇ?」
 ざわざわ、ざわざわ。
 あらゆる言葉が飛び交い、混乱を極めています。
 パシャパシャと、フラッシュを焚いてカメラか何かで撮っている様子が遠目からも窺えました。
中には「おうマジマジ、目の前で女の子がトラックに吹っ飛ばされてさぁ、すっげー飛んでた。それがなー、結構可愛い子だったよ。もったいねーよなぁ」と携帯に吹き込んでいるとおぼしき声もあります。
 ふむ。全校一だなんだと謳われても、こうなれば見世物、晒し者に過ぎませんね。
 世はげに無常です。
「事故……? トラックって、交通事故? 誰か撥ねられたのか?」
 独り言でしょうか。呟きながら、先輩は渦中へ向けて歩き出そうとします。
 慌てました。もし顔が原型を留めていたり、留めてなくても服装とかで判別されたら困ります。
「やめましょうよ、先輩」
 服の裾を引っ張って止めます。
「しかし……」
「私、見たくないですよ。事故に遭った人なんて」
 怯えた顔をつくり、ぶるっと震えてみたり。
「人も集まっていますし、もう誰か通報しているはずです。私たちが今から行ってもできること、何もありませんよ」
「そりゃそうだけど」
「野次馬になっても仕方ないです。行きましょう」
 腕を離し、事故現場から遠ざかります。
 救急車のサイレンが夜空を震わせ、徐々に近づいてきました。
「大丈夫かな……」
 なおも後ろ髪が引かれるのか、何度も振り返る先輩。
 その目から隠れるようにして、さっき密着したときにこっそりポケットから抜き取った携帯電話を操作しました。
 電源OFF、っと。
 これで先輩のところに「さっき撥ねられたのは綾瀬胡桃」という連絡が入ることはありません。
「じゃあ、麻耶。話を戻すけど……」
「はい?」
「本当に、今日お前ん家って空いてるのか?」
「はい。両親はしばらく留守にしますから」
「そうか、なら、」
 泊めさせてくれ、と先輩は頼みました。
 もちろん、ふたつ返事で引き受けました。


 詰まるところ、予知夢でしょうか。
 こんなことを話すと笑われるかもしれませんけど、昔から私はそういうのが視えるタチなんです。
 未来がなんでも見透かせる、ってほど大仰なものではありません。ほんのちょっとだけ、断片的な未来の情報を入手できる。ただそれだけの能力ですよ。
 ごく大雑把に、明日や明後日に起きる事柄の一部分が夢の中で視えて。
 それが「なぜ」起こるのか、だいたいの因果関係を把握する。
 つまりはその程度でしかない。
 自由自在に予知できるわけじゃなし、さして便利ではありません。
 まあ、まったく役立たずということもなく、時には有用だったりしますが。
 告白したとき、すぐには先輩にフラれないという見通しが立ったのも。
 綾瀬胡桃に蹴られそうになってよけてフラついたとき、先輩に抱き止められると分かっていたのも。
 先輩の携帯の番号を事前に手に入れることができたのも。
 私が先輩と無事結ばれるよう、あの牝犬を自滅へ追い込んだのも。
 奉仕が終わるまで廊下に誰も来ないことを知っていたのも。
 少なからず、予知夢の力を借りていることは確かです。
 視えた未来を実現させるのにはどうしたらいいか、ヒント機能付きで教えてくれるんですから、カンペ見ながらテストを受けるようなものです。楽勝とまで行かないにしても、まずまず堅実な成績が見込める。
 逆に、視えてしまった未来をどう回避するかも分かりまして、これもこれで役に立つことがあります。
 綾瀬胡桃に対して離脱宣言を出したのは、理由の一つとして自滅への誘い込みがありましたけど、もう一つ大きな理由として、「あのあたりで一旦退かないと、彫刻刀で額に『犬』と彫られる」って未来が視えたからです。それはさすがに勘弁願いたかった。
 で。「休み明けの夜、先輩に電話してこの公園へ呼び出すと、心配してストーキングしてきた牝犬がトラックに撥ねられる」という俄かには信じがたい予知夢が視えていまして。
 実際こうして現実のものとなったんです。
 ふふふ……綾瀬胡桃さん、あなたがどんなに成績優秀で運動神経ばっちりで美人でスタイルが良くてもですね、トラックの衝突には負けるってものですよ。
 先が視えないあなたに「よける、よけない」の選択肢はありません。
 すべて私の胸先三寸。

 これは、未来からの鉄槌です。

 そりゃあ私だって躊躇いましたよ。いくら憎き牝犬だからって、フラれたばかりのところをトラックにボーンと撥ねられて道路に叩きつけられてグチャグチャのミンチだなんて、さすがに可哀想じゃないですか。
 だから、事故の最終トリガーとなるキスの深さ──なぜ先輩と交わす口づけの深度が事故に関係するのか、こればかりは不明でしたが──を浅めにして、両足が砕けるくらいに留めようかな、と加減を考えてました。
 彼の体に抱きつく、直前までは。
 だってですねぇ……
 ぷんぷんとするんですよ! 先輩の体中から! あの薄汚い牝犬の体臭が!
 どう嗅いだって生半可なマーキングじゃありません。何度も何度も執拗に裸体をこすりつけ、大量に体液を塗りつけなければここまで匂いが移るなんてことありえませんよ。
 先輩が浮気した? そんなまさかです。
 あの牝犬めが、強引に襲い掛かったに違いありません。まったくなんて狂犬でしょう。恥を知らないんですか。畜生にも劣る外道の行為です。少しは容赦を与えようと生温い見通しを立てていた私も考えを改めました。
 犬といえば私も先輩に依存してすべてを差し出す犬っころですけど、罷り間違ってもその手に咬みつくことはありません。なのにあの女は咬み放題。ふざけるなです。あんな女、道路で挽肉になるのがお似合いです。
 だから遠慮なく先輩とはディープなキスをかましてやりました。心の中で「死ね、牝犬め、死ぬ」と唱えつつ。
 とはいえ──本当に死なれてみると、なんだか憐れに思えてしまう私は感傷的でしょうか。
 死ねば仏とは昔の人も良いことを言ったものです。
 ですので、綾瀬胡桃さん。あなたが死に続けているかぎりは、私もあなたのことを「いいひと」だった……と思って差し上げます。明日、訃報を聞いたときにはちょっぴり涙を流してあげてもいいです。
 死者に笞打つ真似は致しませんから。
 絶対に、墓の下から蘇ったりしないでくださいね。後輩からの切なるお願いであります。


 家に到着してからもしばらくは事故のことが気に掛かっている様子の先輩でしたが。
 私が膝をついてベッドに腰掛けた先輩の股間へ顔を埋める頃にはもうどうでも良くなっていたみたいです。
 学校で授業を受けている間も、ああしよう、こうしよう、といろいろなプランを練っていましたので、創意工夫を凝らして奉仕に励みます。発達の乏しい我が身ではありましたけど、試行錯誤を重ねるうちに先輩は私のあばら骨のあたりに関心を抱かれました。
 なんでも「骨にこすりつけているかと思うとすごく興奮する」とか。
 よく分かりませんが、あばらとあばらの谷間に吐き出された粘液の生温かさはとても心地良かったです。
 私の方はまだ下腹部が回復しておりませんし、先輩もお疲れのようなので本格的な行為には及ばず、だらだらいちゃいちゃと時間をかけて睦み合ってみました。
「もうこんな時間か……」
 そうこうするうちに時刻は深夜零時近く。明日も学校はありますし、そろそろ就寝した方が吉です。
 一緒にお風呂に入り、洗いっこして、同じベッドに潜り込みました。
「こうしてると、落ち着くな……」
 先輩は抱き枕でも扱うように私を両足で挟み、きゅっと抱き締めて囁きます。
 彼の心に平穏をもたらすことができるなら、それは私にとっても幸せです。
 そろそろ電気を消そう、とスイッチに手を伸ばしたら。
「あれ?」
 触れる前に電気が切れてしまいました。あたりが真っ暗闇に包まれます。
 なんだろう──停電?
 ちょうど消そうと思っていたところなので別に困りはしませんが、気になります。
 もぞもぞとベッドから抜け出します。
「すみません、ちょっと見てきますね」
「俺も付いていこうか?」
「いえ、先輩はゆっくりしてらしてください」
 懐中電灯を手に部屋を出て、薄暗い廊下をひたひたと歩きます。
 まずはブレーカーを確認。
 ……落ちてますね。なんででしょう。心当たりがありません。
 ま、とりあえずは上げておきましょうか。
 ちょっと高いところにあるので背伸びしないと手が届きません。
「うーん……」
 震える指先が先端に触れました。
 いざ跳ね上げようと指先に力を入れた途端、背後でごそっと音がしました。
 何か気配もします。
「先輩?」
 待たせたつもりはありませんが、焦れてしまったんでしょうか。
 振り返ってライトを向けます。
 ──目に飛び込んできた色は、黒。
 闇よりも艶やかで、光を反射して僅かに白く輝いています。
 髪? 先輩の? にしては、やけに長くてボリュームがあります。
 それも、床のあたり──想像していたよりずっと低いところに広がっていました。
 まるで湖。
 突っ伏すように顔を俯かせているので、その表情を窺い知ることはできません。
 先輩……じゃない?
「だれ!?」
 誰何の声を挙げたのと同時。
 ヒュウッと足元で風が啼いて。
「──あがっ!?」
 鋭く冷たい感触が足首を貫きました。
 激痛。たまらず力が抜け、へなりと座り込んでしまいます。
 足が攣ったのではありません。懐中電灯を照らすと、ドクドクと黒っぽい血が流れ出して床を汚していくのがはっきりと見えます。足の肉が冗談みたいにぱっくりと裂け、桃色を晒していました。骨の白も、僅かに。
「…………っ」
 痛みは消えません。ただ、それを上回る驚愕が思考を麻痺させ、声を封じました。
 かかと──
 かかとを抉られた──
 誰に──なんで──
 鼻を衝く鉄臭い匂いに体温がゆっくりと降下していき、全身が寒気に支配されていきます。
 止められない震えが隅々まで行き渡り、カタカタと歯を鳴らしました。
 恐る恐る、懐中電灯の光を前方へ投げかけます。

 輪の中に浮かび上がったのは黒々とした髪と。
 細く長い指。
 それに握られた。
 一振りの、小さな彫刻刀でした。



(Act.18へ)
[PR]
by sikaisen | 2007-04-16 19:42

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