ヤってしまった。その思いが胸の中を占めている。
他でもない。下級生の荒木麻耶とだ。胡桃とのことがあっていささかナーバスになっているところを慰められ、ある意味で追い打ちをかけられるように再告白されて……気持ちのタガが吹っ飛んでしまった。
あの夜は何かがおかしかった。異常に性欲が昂進していて、極論すれば「穴があればなんでもいい」という気分になっていた。たとえ荒木が「実は私、男なんです」と暴露していても構わず菊座にぶち込んでいたことだろう。理由の一つは胡桃とまぐわえそうになったところで精神が拒んでしまい、肉体の方が生殺しになってしまったことが挙げられる。しかし、そもそも胡桃とまぐわおうと思った時点で既に何かがおかしかった気がするのだ。
健常な男子として夜はムラムラする傾向の強い俺であるが、さすがに後先考えず暴走してしまったのはあれが初めてだ。いったいあの夜には何があったのか……
ともあれ……荒木麻耶だ。
恋愛対象とも、性欲の標的とも意識していなかった。だからまさかヤってしまうとは夢にも思わなかった。
しかし、いざコトに及んでしまうと先入観は一瞬で崩壊した。
気持ちよかった。
異常なくらいに気持ちよかったのだ。
初めてではあったし、セックスに対する幻想みたいなのも抱いていた。
一方で、「実際はそんなに大したことないよ」としたり顔でのたまう級友の言葉を信用していた部分もあって、期待を裏切られるのでは、幻滅するのでは、という怯えの念もあった。
それがどうだろう。彼女の、湿り気が少なく狭い途へ無理矢理押し込むように挿入するや、背筋を一本の氷柱が貫いていった。快感という名の氷柱だ。それは太く、冷たく、痛みさえ感じさせた。快感も行き過ぎれば恐ろしい。たまらず抜こうとした。荒木の襞は迎え入れた客人を逃がしはしないとばかりにきつくまとわりつき、却って挿入よりも深い快楽を与えた。
耐えることもできず、射精した。自慰で、とはいえ持続性の高さには自信があったのに、数秒と保たなかった。実戦で緊張していたからというよりも、単純明快に手淫とはレベルが違う刺激に負けた。
その時点で「童貞を捨てる」「筆おろしをする」「胡桃の身代わりにする」といった頭に渦巻く
後ろめたさを含めた雑念が綺麗さっぱり消え失せた。
狂った。そうとしか言いようがない。荒木の膣は一瞬にして俺の理性を溶解した。
気を取り戻すまでどのくらい時間が経っただろう。それは三度目の射精だった。奥に出されても荒木は物も言わずただピクピクと痙攣するだけだった。「まずい」と思いつつティッシュを取り、溢れ返って逆流している精液と、愛液と、少なからぬ量の血液を拭った。拭っているうちに荒木は回復し、苦しげにふうふうと息をついた。緩やかにうねる腹。その白い皮膚を見ているうち、さっきの感覚が局部に甦ってきて、我慢できずに彼女の小さな体を再び組み敷いた。
「いやあ……堪忍してえ……堪忍してくださいぃ……!」
四度、五度に及ぶ性交。しまいには荒木も失神しかけていた。
とにかくすごいものだった……思い返すだけで股間が膨らんでしまう。
あれは、一度挿入したら一回だけ射精して終わりにするとか、そういう真似を許す代物ではなかった。 ひどく狭くて、深さもあまりないくせに、食いついたら離れないしつこさがある。絶妙な吸着感もあり、余すところなく締め付けてくる。味わってしまえば、「大したことない」などとしたり顔では言っていられないほどの魔力。
あれは──いわゆる「名器」なのかもしれない。
けど、そう呼ぶにはあまりにも恐ろしく、禍々しいほどの悦楽は病みつきで。
いっそ妖器の類に属するもの、と見るのが相応しいような気もするのだ。
妖器云々は別として。彼女に視える隠喩──蔦が、いっそう激しくなってきた。
以前は多いときでも上半身をぐるぐると巻かれる程度だったが、最近は全身を埋め尽くす勢いで絡まり、時に視界の確保に困難を来たすほどだ。
もはや蔦というより、この隠喩は繭と捉えるべきなのかもしれない。
植物で編まれた繭。一つの完結を思わせる姿から汲み取れるのは、強い依存だ。
麻耶が再告白をした一昨日。俺を巻き込んで蔦のコクーンを形成しながら服従の言葉を口にする彼女を見るうち、次第に芽生えてくる意識があった。
支配。征服。いや……そういった優越感を滲ませたものではなく。
共鳴、と言えばいいだろうか。何かが通じ合ったような気がしたのだ。
依存される。そのことを、俺は望んでいた気がする。
胡桃は甲斐甲斐しく尽くし、あらゆる面で奉仕しているかのように見えるが、彼女はどこかで俺を獲物のように見ている節があった。隠喩が食虫花であることも、その一つだ。彼女は俺を捕らえて意のままにすることを望んでいる。首輪をつけたがり、常に鎖を引きずっているような感じだ。
鎖──檻とともに、胡桃で何度か視た隠喩。彼女は異様に嫉妬深く、その悋気がすぐに束縛へ向かう。
縄をつけなければ安心しない。根深い不信が、彼女の根底にはある。
好意を寄せる相手であっても信頼を置こうとしない思考が、息苦しい。
猜疑の果てに束縛の権化として現われたあの怪物を記憶から掘り返すと、今でも動悸が増す。やはり、駄目だ。付き合いが長く、愛着があるとはいっても、あれだけの怪物を隠した胡桃と真正面から付き合っていく自信が俺にはない。
もし恋人のような関係になれば、俺は胡桃ではなく、胡桃に巣食う怪物──あいつの制御できない激情に絞め殺される。隠喩は隠喩に過ぎないが、それでもあれは度を越していた。
荒木は……麻耶は逆だ。俺に首輪を付けるのではなく、自分に付けてほしいと願う。
束縛されたがっている。粉々に砕け散った鎧の代わりに、俺との関係を密にすることで剥き出しになった蔦を繭化させ、心の安定を得ようとしている。
献身によって自我を確立する、とでも要約しようか。あいつは目的を自己ではなく他者に求めるのが肌に合う性格なんだろう。誰かのために「何でもする」ことが、自信を持つことに繋がっている。
そのことが、別段不快ではなかった。
依存され、献身を受けることに充足と満足を覚えていた。
麻耶には俺が必要なんだ──という身勝手な確信がどこまでも肯定されるから。
彼女の体を貪り続けることに正当性を感じられるから。
恋だの愛だのといったことがよく分からない俺には、単に依存されて共生する関係が心地良い。
麻耶は恋人というよりも、既に体の一部みたいに思えている。
交わり合ったからではなく。それ以前の問題として。
心のどこかで、俺も依存する相手を求めていたんじゃないかな──
だからこそ、彼女の告白を受けて支配欲や征服欲が満たされるより先に、共鳴した。
相互の依存。
別々の教室に向かうため別れた後も、麻耶の蔦は未練を残して俺に絡まり続ける。
想われている。依存されている。
知っても、不思議と息苦しくなかった。
最後の蔓の一本が小指に巻きつき、ゆびきりでもするように揺れた後、スッと消えた。
相変わらず、麻耶には恋愛感情なんて抱いてなかったけれど。
そばにいてほしいな──と自然に願う自分がいた。
それと、気になるのは胡桃のことだ。
あんなことがあっただけに顔を合わせづらい雰囲気もあったが、いつまでも逃げているわけにはいかない。
胡桃との関係にしたって、今まで見て見ぬフリをして放置してきたから、こじれてしまったんじゃないか。
いい加減、こじれを清算しなくちゃダメだ。
意気込み、俺が麻耶を選んだことをきちんと伝えようと肩に力を入れていたが、朝、胡桃は姿を現さなかった。遅れてくるかと思ったが、結局登校せずに欠席した。
やはり、あれは彼女にとってもショックだったか。予想していないことでもなかったが、実感すると気持ちが沈んだ。
お互い、これを乗り越えて前へ進むには、しっかり話し合って決着をつけないといけない。
たとえ今、どんなに傷つき痛みに咽ぶことがあっても。
──決着はつけなくちゃならない。
そう思うのだ。
胡桃の家に行った。何せ隣家だ。行こうと思えば、心理的抵抗をなくすだけで簡単に行ける。
「どうもあの子、気分が優れないみたいでねえ……」
応対に出たおばさんには、やや疲れと困惑の表情が現われている。
隠喩は閉ざされた門。
とりあえず応対には出たが、俺を迎え入れる気にはなっていないらしい。
原因が俺にあることを疑い、胡桃とは合わせたくない気持ちになっているのだろう。
仕方なく辞去した。携帯を開く。コールもメールもなしの礫だ。反応する素振りを見せない。
このまま、自然消滅するがままに任せればいいんじゃないか──楽な方へ流れそうになる。
内心に首を振って否定する。今まで散々楽してたツケを清算するために会うのだ。
ここで逃げてしまえば、ただ禍根を残すだけに終わる。
それじゃ駄目だ。話し合った結果として物別れに終わるなら、それでいい。けれど、顔を合わせることすらしないで鬱屈の種だけ残していくのでは、誰も得しない。揃って損なわれるだけだ。
付き合うことができないからって、何もかも損なうような事態には耐えられない。
あれでも俺にとっては大事な幼馴染みなのだ。
話をつけるために、強引な手段も厭わないことにした。
両親の留守を狙って綾瀬宅に侵入した。物置の工具箱に予備の鍵が入っているのは長年の近所付き合いで知っている。やってることは普通に犯罪だったが、なりふり構わなかった。
きっと周りの大人なら「時間が解決してくれる」と言って、今は距離を置くべきと諭すに違いない。
でも……あいつの抱えた怪物は、放っておけば時間経過に比例してとんでもない成長を遂げるかもしれない。
それが怖くて、不法侵入までやらかしてしまった。
コン、コン
部屋の扉をノックする。
「胡桃、俺だ。洋平だよ。ちょっと話、できるか?」
返事はない。扉の向こうは静まり返っていて、人の気配も窺えない。
鍵が閉まっている以上は、胡桃がいるはずなのだが。
めげずにノックを重なる。
「なんならドア越しでもいい。聞いてほしいんだ。俺は、荒木麻……」
ガチャ
切り出そうとした途端、開錠の音がした。扉は開かれない。
ノブを回す……回った。
中で胡桃が開けてくれた? しかし、出てはこない?
入って来いということだろうか。胡桃の部屋に入るなんて何年ぶりだろう。
躊躇う気持ちも大いにあったが、「よし」と気合を込めて扉を開ける。
暗い……明かりが点いてないのか? スイッチ求めて壁を手探りしながら一歩、二歩と、
ガチャリ
金属音がした。肌に冷たい感触が走る。
閉錠音──ではない。扉は開け放たれたままだ。
見る。手首に嵌まったもの。
銀に輝く、拘束の輪。
──手錠だった。
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